今日は、わが社が、なぜ、会社登記の仕事を始めたか、そのストーリーについて書きたいと思います。中国で起業して、今の事業形態をはじめたのも、結構いろんな偶然が重なった結果、今のビジネスモデルになった、その過程について書きたいと思う。
確か、2002年頃だったと思うが、私の知人の社長が、上海で投資して飲食店を作りたいという話がありました。その社長から、「小谷、会社登記を手伝ってくれ!」と言われたので、当時は、あまり、中国の実情も分からなかったので、知人が働いている大手のコンサル会社に頼んで、会社登記をお願いしました。それで、一安心と思っていたのですが、そこから、いろいろありました。
会社登記をお願いしていたコンサル会社が、3ヶ月たっても、まったく登記が前に進んでいなかったのです。それで、困って、そのコンサルティング会社の担当者に、いろいろ聞きました。「御社は、登記を始めてから、3ヶ月たっていますが、何も前にすすでいないようですが・・」と聞くと、担当者は、「中国の政府の許可がとるのが難しく・・」と長々理由を言うので、前に進まないことを悟ったので、書類とお金を返してもらい、再度自分達で、登記をすることにしました。
そのとき、ふと、思い出したことがありました。 今、一緒にビジネスを行っている上海人のパートナー(日本の大学時代の留学生の友達)が、話した言葉を思い出したのです。
彼が、『俺のおじさん、工商局のえらいさんだから、会社登記簡単だよ。』と言ったこと。
しかし、同級生で、友達の言うこというのは、意外と信用していなかったので、その話を無視していたのですが、本当に困ったときには、聞きたくなるのが、友達の意見。
それで、その友達から、工商局に話を聞いてもらいました。
彼が、『それじゃ、来週、工商局で、おじさんが、待ってくれているから、書類を出しに行こう』と話しました。
それで、当日、みんなで車に乗って、工商管理局に行き、それで、受付に書類を出すのかと思えば、一番奥の部屋に入って、応接間にいるおじさんに書類を、渡しました。
その後、外資の会社が2週間で出来上がったのです。超特急での会社登記でした。
今では、対外経済委員会での登記の順番は、インターネット上に記載されているので、超特急の登記というものができないのですが、今から8年ほど前は、そんなウルトラCも可能でした。
それで、会社登記も完了し、その方は、外資系で飲食店を開くことができました。それからも、知人の社長に会社登記のお願いをされたので、3回くらい、工商局にお願いに行くと、そのおじさんが、『君達、会社登記の仕事をしたいのなら、申請しなさい、正式に登記出来る会社を作るなら応援してあげるよ。』と言われました。
私たちは、迷わず、『それじゃあ、お願いします。』と言って、会社登記を行なうための資格である。『企業登記代理』の資格申請を、工商管理局で行いました。
それから、数週間後、営業許可書の中に、企業登記代理の資格が、記載され、晴れて、自社で、企業登記の代理事業を行うことが正式に認可されたのです。
この話は、本当の話ですが、はじめ、知人の社長が、会社登記がうまくできなかったことが、今の結果になっています。
もし、その時、その頼んだ、大手、コンサルティング会社が、会社登記を完了していれば、今の仕事を行っていなかったかもしれません。
人生には、不思議な、過程というものがあります。
私が貿易業を始めたときに、たまたま、会社を辞めたときに、知人の駐在員の方が、貿易の仕事を僕に依頼してくれたのが、きっかけでした。
それが、今のSFE貿易コンサルティング会社を立ち上げるきっかけになったのです。
あれから、7年以上の年月が過ぎました。経営の厳しい時期も、過去に何度かありましたが、今は、顧客数も増え、以前のように苦しまなくても、なんとか経営ができるようになりました。
このブログの読者の多くは、中国で事業を行ってみたいと思っている方が見ていると思います。私が、なぜ、中国で起業できたか?その理由は、やりたい事業ということにこだわりを持たなかったから、今の事業が出来たのだと思います。
仕事は、周りの人に頼まれるから、仕事として、成立します。その縁がなければ、事業など継続できないと思うのです。
事業が継続でき、今でも、会社をやっていけているのは、私のやっている仕事が、必要だと感じてくれるクライアントがいるからです。
私は、業態に何もこだわっていません。目の前に来るチャンス、チャンスといえば、獲物を狙っているような感じがしますが、・・自分に対して、来る要求に対して、結果を出す方法を模索すること、そして、実際に結果を出すように進めることが自分にとっての仕事だと感じています。
これからも、上海に来る起業家の応援をしたいと思っています。
■上海 会社登記情報