今日は、ある本に書いていた話題を見て、「心の底から熱い想い」が沸いてきた。
http://www.webdoku.jp/tsushin/2009/11/01/006341.html 1972年生まれ~1982年生まれの人を指して、「ロスジェネ」と言われている事を知った。ロスジェネとは、ロス=無くす ジェネレーション=世代の略だとおもうが、まあ、私は、1973年生まれですから、まさにロスジェネの世代です。
私は、海外に飛び出して、海外で起業した理由は、まさに、「日本でやっていても、将来が見えない。だったら、発展の兆しがある上海でやろう」と思ったことがきっかけだった。
ロスジェネの海外逃亡組みである。
しかし、海外行って、必死に、事業をして、なんとか、外国で生き抜いていく力をつけた。今、ふと振り返ってみて、もし、私が、日本で、いたら、今はどうなっているだろうか?と考えたら、ぞっとする。
私は、性格的に企業で働くことが出来ない。年功序列という世界で、生きていけないのである。なぜなら、私の物事基準は、その人の年齢で上下関係を考えるより、その人の人間としてレベルを見て、上下関係、を見極めるからです。
正直、上司がすべて、立派な人かといえば、サラリーマン時代考えてみたときに、そうでなかった気がする。、
だから、喧嘩別れで、会社を退社したこともあった。
私は、決して、優秀なサラリーマンではなかった。組織社会の中では、問題多き、サラリーマンであった。
不景気な時代に、強調が出来なく我慢が出来なく、起業するのも難しい世界で生きていたら、私は、日本で居たら、間違いなく、不良になっていただろう。
結局人が、活躍でき場所というのは、環境を変えることで、生まれるということが言えるのではないだろうか?
しかし、今日は、たまたま目にした言葉、「失われた世代」という言葉を見て、非常に悔しい思いが沸いてきた。
これは、本心である。
失われた世代だという時代に生きて、抜け道をさがして、中国に来た。たぶん、その結果は、良かったと自分でも思う。しかし、周りの同級生、また、同世代の人を見て、決して、幸せそうに見えないのである。
そんなこと、お前が心配しても仕方がないだろう。といわれるかもしれないが・・しかし、失われた世代 というのを、誰が作ったのか? もう、それが訂正できないのか?など真剣に考えてしまう。
結局、不景気で貧乏になっただけということが答えである。
日本人も働く能力のある国民である。能力ある国民の能力を出す環境のない日本の何か不思議な社会制度に問題を感じてしかたないのである。
先日、ある人と話していて、こんなことを言われた。「日本のサラリーマン世界では、上司に意見を言うことは、タブーである。ほうれんそう という言葉があるが、報告、連絡、相談。 という組織で仕事をする上で、大切なことである。
しかし、報告して、連絡して、相談しても、 相談だけじゃ、何も物事は変わらない。 どうしよう ってみんなで相談する。
結局は、結論は、どうする。だから、どう行動するという。行動がないのである。
行動がないものが、どうやって、世の中を変えることができるのだろうか?
ある人が、言いました。行動にでれば、「出る杭は打たれる」だから、組織で生きていたら、そんな出る杭は打たれる行動に出れば、生活ができなくなります。
という意見です。
日本の今の風潮を変えることができるのは、海外に出て行った日本人達だろうと思う。
日本国内で、生きるのが必死になっている人達には、リスクある行動など、間違っても出来ない。もう、明日いつ死ぬかわからない・・・と恐れているからである。
失われた世代といわれて、どうしようもないと感じる同世代のほうが圧倒的に多いだろう。
失われた・・・魂の世界で言えば、これは、その人の存在を否定していることになる。
魂の目的は、自分の存在を世の中にアピールすること。そして、認められることを起こすことである。
否定的に生きて、魂の存在を認めれることも出来ない。だから、自殺者も増える。
一体。これは、どういうことなんだ。と思ってします。
私は、個人でいくら大声をあげても、出来ることたいした事はないが、誰もやらないなら、私は、一人で立ち上がってでも、元気な世界を作る努力をする。
心のそこから、そう思った。メラメラ、湧き上がるものがあった。
■心に誓ったことは、たった一人でも良い。誰に相手されなくても良い。そんな世界でも、自分の思いを貫きたい。そんな人は、クリックを!!■11月12日 東京 上野 『小谷 まなぶの中国貿易ビジネスセミナー』参加者募集中 現在24名 定員60名 参加費 無料 詳しくは、ここをクリック!!